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 日本の文化である折込広告
 
 

日常生活で一番身近な広告として親しまれている新聞折込広告の歴史は新聞が発行される前の江戸時代まで逆上ります。江戸時代では「引札」と呼ばれ商売の売 り出しや開店時に使われたり、薬・化粧品などの宣伝に広く利用されていました。「引札」の「引く」は引き付けるあるいは配布するという意味からきており、 「客を引く札」あるいは「広く配る札」のことです。看板やのれんなどの動かない広告と違い、一歩進んだ宣伝方法ということで普及しました。江戸時代には 「びら」「絵びら」と呼ばれたものもありましたが、引札と違って現在のポスター的な役割をしていました。「引札」は配るだけではなく、貼ったり、特定の相 手を対象に、今で言うダイレクトメールや商品カタログのような使い方もしていました。(詳しく調べたい方は増田太次郎著「引札絵ビラ風俗史」をお読みくだ さい)
 
 
 
 新聞折込広告の発生
 
 

明治時代になると「引札」は「広告」という広い意味でも使われるようになりました。新聞が発行された2年後の1872(明治5)年に東京日日新聞で「新聞 附録」として「引札」が配布されました。明治時代後期には「挿広告」と呼ばれ、さらに大正時代、昭和時代へと変化する中で今の新聞折込広告の形態になりま した。
 
 
 
 江戸・明治・大正・昭和初期の折込広告
 
 
「増田太次郎コレクション(オリコミサービス管理)」から江戸時代1点、明治時代1点、大正時代3点、昭和時代1点を紹介します。

江戸時代の1点は「日野屋惣助」の引札。薬種取扱い商店で「人参大乗円」「金応丹」という商品の看板が見え、タイトルには「江戸出店の図」と書かれていますから新規出店の挨拶と告知の広告と思われます。

明治時代の1点は「三井呉服店」の引札。三越の前身であり、所在地は「東京市日本橋区駿河町」です。店頭の賑わう様を表現した引札です。

大 正時代の3点は何れも百貨店広告です。銀座「松坂屋」と京橋「高島屋」と神田明神下「伊勢丹呉服店」です。広告のタイトルも「夏物新安値大売出し」「夏物 見切大売出し」「蔵払い大売出し」で、現代に通じます。「伊勢丹」の前身である「伊勢丹呉服店」は神田明神下にありました。

昭和時代の1点は「円タク」広告。時代を物語っている広告で、東京均一タクシー株式会社が四谷大木戸に営業所を開設した告知広告です。東京市内どんなに走っても運賃は「1円均一」と書かれており、現代の「均一広告」の走り?と思われます。

現在の「新聞折込広告」も刹那的・瞬間的なものですが、今の時代を十分に反映表現しています。正に日本の文化で、「引札」同様に庶民の風俗が見えてきます。


 

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